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「無駄なく人生を効率的に」とか言う人に思うこと

 

…なんか嫌なことでもあったの?
いやぁ。先日、結構イラッとする出来事に遭遇してね。具体的には「人生をもっと効率的に送ることを考えた方がいいよ」って指摘されたんだけど…。
まぁ…アンタの生活態度や楽観的な人生設計を見たら、そういう感想を抱いて当然じゃないかしら?言われても仕方ないわよ。
ボクの人生観をどう評価されようが知ったことじゃないけどさ。そもそも人生自体がムダそのものなのになに効率とか求めちゃってるのかな、って。

 

 

 

人生のゴールは”死”

 

いや、だってさ。無駄なく効率的に、って要は「最短ルートで」ってことじゃん?
…言いたいこと、わかったわ。「人間、最終的には死ぬんだから今死ねば最も最短ルートで効率的」って言いたいんでしょ?
やだなぁ。ボクはキミと違ってそんな恐ろしいコト言えないよ。
……張り倒すわよ?

 

 

何を基準に”無駄”を判断する?

 

…冗談はともかくとして。
冗談だったの?ちっとも面白くなかったのだけど。
人生に効率を求める人ってのは「人生において、なるべくムダを省きたい」って考えなのかな?
多分、そういうことじゃないかしら?
するとますますよくわからない。そもそも「効率化」って、製品の製造過程やサービスの提供など「すでに確定しているゴール地点にどれだけ最短で到達できるか?」という視点でムダを削減していくモノだよね?

 

 

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人生で確定しているゴール地点なんてない。それこそ「人間は最終的に死ぬ」ってくらいのモノで。
人生がどうなるかなんて最期までわからない。それなのにどうやって短縮する?なにをどのようにムダだと判断するのかな?

 

 

人生の効率化なんて不可能

 

そもそも人生における”ムダ”ってなに?人生において必要か、無駄かなんてどうやって判断するの?
う~ん、将来の役に立つのか…とか?
例えば「プロ野球選手になりたい」って夢がある子どもがいたとして、この子が100%プロ野球になれる保証はないわけじゃん。
もし夢を叶えられなかったとしたら野球の経験自体がムダだってことになる。結局、可能性の高い低いで判断するしかないワケだけど…それをどの時点でどうやって判断するんだろう?
…それはそうねぇ。それこそ、たとえプロ野球選手にはなれたとしても、こんどは野球の世界で大きな結果を出せるかという話になるわけだし。結果が出せず、パッとしないまま終わる可能性だってゼロじゃないものね。

 

 

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それこそ別に野球選手を引退したからってそれで人生が終わるワケじゃない。それから第二の人生を歩むことになるわけだけど、そこでプロ選手のときの経験や人脈が活きる可能性だってあるよね。ならば野球の経験はムダではなかったワケだ。
「人生塞翁が馬」なんて言葉もあるように、いつどこで何がどう転ぶかなんてそのタイミングになってみなきゃわからないものね。
うん。人間が人生における”ムダ”を認識できるのは過去しかない。過去は変えようがないんだから「人生の効率化」なんて不可能だ、っていうのがボクの考えかな。

 

  1. 予めゴールとルートが決まっていてこそ効率化が可能
  2. 人生にゴールは決まっていないし、定められたルートも無い
  3. だから「人生の効率化」なんて不可能

 

ボクは「人生の効率化なんて不可能だ」と考える。だから「人生の効率化」なんて言って聡明なフリをしている人が嫌いなんだよね。
(…よほどその人の言葉に腹を立ててたのね。)

 

 

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というかそもそもこの世のすべてがムダなのに何を基準に無駄を判断するのか、と思うんだけどね。
…これはまた、ニヒリストじみた発言ね。遅すぎる中二病かしら?
極めて現実的なこと言ってるつもりなんだけどな…。

 

 

ありがとうございました。