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軍艦巻きというゲテモノ寿司から考える、特定分野で”第一人者”になる人の条件
…何から突っ込んだらいいのかわからないタイトルね。
そんなに褒められると照れるなぁ。
褒めてない。…で、今回は何の話をするつもりなの?
うん。これからの時代の『第一人者となる人の条件』を語ってみようかな、と。

 

 

第一人者になるには『定義』が必要

 

 

ある分野で第一人者になるために必要な条件とは「定義」であるとボクは考える。
…定義?
もっと突き詰めて言えば自分自身で定めた『オリジナルの定義』を設定することが、特定分野で第一人者になるためには必要だと思う。

 

てい‐ぎ【定義】の意味
[名](スル)
1 物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること。「敬語の用法を定義する」

2 論理学で、概念の内包を明瞭にし、その外延を確定すること。通常、その概念が属する最も近い類と種差を挙げることによってできる。

引用:goo辞書

 

ここで言う定義とは「1 物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること。」を指す。
「オリジナルの定義を設定する」ってことはつまり…自分と他を区別できるようにするための設定が必要、ってこと?
そういうこと。そしてイクラの軍艦巻きという”ゲテモノ寿司”が、ここでいうオリジナルの定義の具体的な例だね。

 

 

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「いくらの軍艦巻きがゲテモノ」という発言も気になるけど…それよりも、そもそもなんでお鮨の話になったの?
先日プロの音楽家の方と寿司屋で食事する機会があったのだけど…そのとき”定義”の話で大いに盛り上がったから。

へぇ、スゴイじゃない。良い機会をいただいたものね。

うん。さすが音楽の分野に長く携わるだけあって話の一つ一つにも含蓄があったし、プロとしての考え方や視点からも大いに学ばせていただいたよ。
なモンだから、そこでの体験を記録しておきたいな~と思ってここで語っているワケ。

 

 

イクラの軍艦巻きという”ゲテモノ”

 

それで?「いくらの軍艦巻きがゲテモノ」という話の根拠は?
今では当たり前のように寿司ネタの一つとして認識されているイクラの軍艦巻きだけど、その歴史は意外に新しい、そもそも江戸前寿司に『軍艦巻き』というモノはなかったんだ。

 

1941年(昭和16年)、東京銀座の寿司店「久兵衛」において、当時の主人今田寿治が客の注文を受けて考案、それまで、寿司ネタとしてなじみがなかったイクラやウニを、握らずに飯で固定する方法で完成させた。だが、当時の保守的な業界にあっては非難を浴び、NHKのラジオ番組では「ゲテモノみたい」と言われたという。

引用:Wikipedia

 

へぇ、知らなかったわ。今やお鮨を代表するネタの一つであるいくらの軍艦巻きが、当時はゲテモノ扱いされていたなんて…。
これは余談だけど…一説によれば「イクラを握ってくれ」と言ったのは、かの大芸術家である北大路魯山人だったなんて話もあるね。

 

 

定義とは「自分が信じて貫く軸」

 

ともかく。ある程度の歴史や伝統がある業界や分野で新しいことをすれば、当然批判する声が出てくる。そのとき、批判を受けても自分を信じて己を貫くことができる”軸”こそが「定義」だとボクは考える。
周囲に「そんなモノは鮨じゃない」と責められても、主人の今田さんは「自分はこれも鮨の一つだと考える」と信じ抜いたからこそ…ってことね。
そうだね。今田氏の中に彼ならではオリジナルの”寿司”の定義がなければ批判に負けてイクラを握るのを止めていただろう。

 

 

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…そうなっていればいくらの軍艦巻きは存在しなかった、と思うとなんだか感慨深いわね。
だが今田氏はイクラの寿司を握るのを止めなかった。「海苔を巻いた寿司があってもいいじゃないか」と彼が思ったかは知らないが…それでも信じて握り続けたからこそ少しずつ評価されるようになった。そして今では鉄板ネタどころか鮨ネタのバリエーションを広げるキッカケになっている。

 

 

個性の時代では「定義がない=無個性」となる

 

ボクは「専門分野で第一人者になる条件」という前置きで”定義”を語ったけど、この話は決して専門分野で生きる人だけに限った話ではないと思う。
そうよねぇ。考えようによっては「定義」は「個性」とも言い換えられるものね。
「これからは個性の時代だ」なんて言われているけど、個性が具体的に何なのか認識できている人ってどれだけいるんだろうね?

 

 

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…ちなみにアンタは”個性”をどんなものだと考えているの?

「自分と他の人とではここが違う」と本人が認識している観念こそが”個性”だと考えている。
本人が認識している観念?…よくわからないんだけど。
この辺を詳しく語るとメッチャ長くなるけど…カンタンにいえば「私にはこんな(他の人と違った)特徴がある」と本人が自覚していることかな。定義と同じく「この部分が自分と他人を区別する記号である」と信じられる部分だね。

本人が自覚していていること…。ってことは、もし他人との違いがあっても、それを本人が認識できていなければ…。
そうだね。他との違いを本人が認識できていなければ、それは「無個性」と同じだと思う。

 

 

 

定義・個性を見つけるには

 

じゃあ、オリジナルの定義や自分ならではの個性を見つけるにはどうすればいいと考える?
この話するとほんっとうに長くなるからものすごくザックリいくけど…“他人との違い”に善悪の判断をつけないことだと思う。
「”他人との違い”に善悪の判断をつけないこと」?
例えば「お前は運動オンチだな」と言われたらほとんどの人は短所…つまりは「悪いこと」だと考える。
でもそこで「あぁ、世の中には自分より運動が得意な人がいっぱいいるんだな」と考える。単なる”他人との違い”であり、そこに良いも悪いもない。
要は「自分は他の人とちょっと違う部分がある」と”だけ認識して善悪や優劣の判断しないことだね。
う~ん、やっぱりなんだかわかるようなわからないような…。
…その辺、もう少し掘り下げて語ってみようか。

 

 

 

ありがとうございました。